(更級日記) 茨城から京都まで

2022年2月11日

昨年 NHKらじるらじるの古典購読で、更級日記をやっていました。`(2020年)

平安時代の女性が自分の半生を振り返り思いでに残る思いでを書き残した日記(随筆)ですが、今から1000年も前の日本の女性がどんなふうに思って人生を過ごしておられたのか?粒さに現代に読めることはなんと凄いことかと思います。

 そこで、古典が何も専門でない技術系のサラリーマンである私が現代風に読み訳して紹介してみたくなりスマホに向かいました。

 古典に忠実な解釈ではないですが、現代の人が1000年前にいたらどんな気持ちになるか?と想定して書き綴って見ました。

 第1かんは10代の子供のころ 茨城地方から京都へ父の転勤にともなって旅する部分を参考に現代風に訳してみました。

更級日記

かどで

時は平安時代、ところは今の千葉、茨城の辺です。父がこの地方の知事として京都から赴任しており、私はまだ小さい女子。

 地方の生活はまだ文化的な情報も少なく退屈ですが、姉さんや乳母などの話を聞いていると都にいけば 物語 という読み物があり、光源氏様が出てくるそれはたいそう面白いものであるとのよう。そんな物語を京に参って読んでみたいと思っています。かといって私の思い通りにはならないのですが、内にある観音菩薩様に毎日お祈りして京にのぼる希望がかなうようにお祈りしています。そんなある日父から京へ帰還が決まったとのお話があり、その年の9月に千葉の赴任宅を畳み、京に旅立ちました。

 当時の関東から関西への移動は江戸時代のような宿場がまだ整備不十分な状況でしたので、恐らくそれは大変危険が伴う旅ではなかったかと想像いたします。ただ、時の政府の高官(地方長官)の旅なので付き人や旅の資金もあり今で言えばビジネスクラスの旅ではなかったとも想像します。茨城から千葉付近までは長官の政治勢力が行き届いた県内のため、安全でしたでしょうが、千葉地方を離れる場所で、一つの庵を構えここから本当に旅立つのだということを意識したのです。遠く見えるあの観音菩薩様に感謝して最後のお別れをしました。江戸時代のように宿場がいたるところにあるわけではなく、場合によっては簡易のテントのようなものを自前で建てて雨を凌ぎ止まるようなこともせねばなりません。継母も一緒に京に向かうのですが、赤ちゃんを身ごもり、同じ旅の集団では移動できないので、止まっている宿までお見舞いにうかがいました。とてもきれいな方ですが、体調が優れないのか寝ておられて、ずっと一緒にいてやりたかったのですが、お連れの日との指示で別れて旅を続けたのです。こんなこともあり、やっと大井川(今の江戸川)までたどりつきました。

 私の勝手な解釈もあり、正確でない部分もありますが、このような感じで更科日記は始まります。

 でも900年代に女性の方が自分の少女時代の憧れや夢がかなって京にむかう旅について小説に綴っていたのですから、日本人はすごいなあと思います。

 今回はこれまでといたします。

次回は 足柄山を通過していく場面などが面白かったので、また紹介したいと思います。

書評

Posted by 洋蘭ベランダー